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    Dr.森本哲郎

    医院長 Dr.森本
    人生の一生を
    「歯の健康」
    という視点で考える事が歯科医の仕事だと考えています。


    一度ご来院いただいた患者さまには、一生涯健康な歯を維持していただきたいと考えています。 生涯に渡ってご満足いただける歯科医院になるために、高い技術はもとより、通 院しやすい環境づくりまで、歯科医としてできることはすべてご提供いたします。

    森本先生の生い立ち

    稲毛海岸の地で22年目を迎えることができました。

    海岸歯科室 Dr.森本 私は東京歯科大学に通った縁から、この稲毛海岸に院を構えました。
    出身は東京浅草で、祖父、祖母、父が歯科医を開業していました。子どもの頃に、父に歯の治療をされるのがとても嫌だったのを憶えています。どうしてあんなに不安で嫌だったのか……。それを考えることが、患者さまの立場を考える際に、役立っていると思っています。
    この地で開業してから22年、常に患者さまの立場を考えながら診療にあたってきました。その間、ベッドタウンとしての発展もあり、新しいマンションも建ち並ぶようになりました。乳児のときに診察した子が、いまや成人しています。

    子どもの頃は、歯医者になるつもりはありませんでした

    海岸歯科室 Dr.森本 子どもの頃は、野球に夢中になりました。
    少年野球のチームに入って練習に熱中し、歩いて東京の南千住にあった東京球場まで行きロッテオリオンズの試合を見ていました。
    中学時代は音楽が好きで、クイーンやカーペンターズなどのコンサートに足を運びました。高校生になるとバスケット部に入りました。
    その頃は、ビジネスマンになることに憧れてしました。コンピューターというものがニュース番組などで取り上げられるようになった時期でしたから、IBMという会社をとても格好よく感じていました。
    高校3年のときに、はじめて、やっぱり自分は歯科医になるべきなのではないだろうか、と考え始めました。
    歯科医の家庭に生まれて、患者さまと父親とのつながりを見ていたのが影響しているのでしょう。歯の健康で悩んでいる人たちを助けるのが自分の人生の使命なのではないかと考えるようになりました。

    学生時代に、幅広い人とつきあったことが人生に影響しています。

    海岸歯科室 Dr.森本先生 代々、東京歯科大学を卒業していましたので、私も同校に入りました。学生時代は、とにかくよく遊び、さまざまな大学生・社会人と交流をしました。その人脈が現在でも続いています。プロスポーツ選手になった人もいれば、政治家になった人もいます。現在も友人の多くはいろいろな分野で活躍しています。そういう仲間たちと知り合うことで、歯科大生にしては広い視野と見識を持つことが可能だったと思います。それは患者さまの気持ちを考える上で、いまも役に立っています。

    歯科医として生き始める

    海岸歯科室 Dr.森本先生 東京歯科大学の水道橋病院の歯科総合科に入局し、歯科全般を学びました。その後将来の開業を考えて銀座の開業医に勤務しました。まだ大学でもインプラントを教えていなかった頃ですが、この医院ではすでにインプラント治療をおこなっていました。
    そこで、患者さまの要望に応えるためには、自分自身が自主的に勉強をして、歯科医として最新の知識と技術を身に付けることが必要だと気付きました。自分の技術を磨くことで、はじめて患者さまに納得いただける歯科治療を施すことができると痛感し、猛勉強をするようになりました。

    稲毛の地で開業

    海岸歯科室 開業 大学生活の6年間、通い続けた稲毛の地で開院しました。
    当初は、とても大変でした。何から何までひとりでおこなっていましたが、その頃に友人の紹介で手伝いに来てくれたのが現在の妻です。受付から経理までさまざまな部分で支えてくれました。3人の子どもに恵まれ、子育ても経験しました。小さな子どもに対してどう接すればよいのか、どうすれば嫌なことを進んでしてくれるようになるのかなどを学ぶことができ、それは、小児歯科の治療で役立っています。
    男の子2人は野球に夢中で、長男は高校野球で明け暮れ、次男は少年野球で活躍しています。